KAIDAN
午前2時13分の着信

母が亡くなって、三日目の夜だった。
午前二時十三分。枕元のスマートフォンが震えた。
画面には「母」と表示されていた。
電話番号は、解約したはずの母の携帯だった。葬儀のあと、父と一緒に電源を切り、引き出しにしまった。間違いない。
呼び出し音が七回鳴って、止まった。
留守番電話が一件。
再生すると、最初に聞こえたのは、水が滴る音だった。ぽた、ぽた、と、間隔をあけて落ちている。
その奥で、母の声がした。
「開けちゃだめ」
それだけだった。
翌朝、父に聞かせた。父は顔色を変えたが、「疲れてるんだろう」と言って台所へ逃げた。私は音声を消さずに残した。
次の夜も、午前二時十三分に着信があった。
今度は電話に出た。
「もしもし、お母さん?」
返事はなかった。ただ、あの水音がする。しばらくして、遠くから何かを引きずるような音が聞こえた。
「そこにいるの?」
「……まだ、開けてない?」
間違いなく母の声だった。生前、私が夜更かしをしているときの、少し呆れたような口調まで同じだった。
「何を?」
その瞬間、玄関のチャイムが鳴った。
深夜二時十三分。誰かが玄関の外に立っている。
スマートフォンから、母の声が鋭く響いた。
「見ちゃだめ!」
私は息を止めた。チャイムがもう一度鳴る。続いて、扉を爪で引っかくような音がした。
「ねえ、開けて。寒いの」
扉の向こうからも、母の声がした。
電話の母は、泣いていた。
「お願い。あれは私じゃない」
私は一晩中、玄関から離れた部屋で膝を抱えていた。外の声は朝まで何度も私の名前を呼び、最後には父の声になり、知らない子どもの声になった。
夜が明けると、玄関の外には誰もいなかった。ただ、ドアの下から細い水の筋が室内へ延びていた。
父に電話すると、しばらく黙ったあと、低い声で言った。
「お前の母さんも、昔、同じ電話を受けたんだ」
「誰から?」
「死んだ、おばあちゃんから」
父は、母が亡くなる前夜のことを話した。午前二時十三分、母は玄関で誰かと話していたらしい。父が声をかけると、母は振り向いて笑った。
「大丈夫。私が代わりに行くから」
その翌朝、母は寝室で息を引き取っていた。
「だから、絶対に開けるな」
父の声が震えていた。
その日の夕方、私は玄関にタオルを敷いた。濡れた床を拭きながら、ふと気づいた。水の筋は外から中へ入ってきたものではない。
玄関の内側から、廊下の奥へ続いていた。
夜になって、また二時十三分が近づいた。
スマートフォンが震えた。
「母」からの着信。
私は震える指で通話ボタンを押した。
「もしもし」
返ってきたのは、私自身の声だった。
「開けちゃだめ」
同時に、背後の押し入れから、こつ、こつ、と音がした。
あの夜、私は玄関を開けなかった。
でも、母が言っていた「開けちゃだめ」は、玄関のことだったのだろうか。
押し入れの襖が、内側からゆっくりと動き始めた。
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